“東京の空”の下で

音楽をこよなく愛するおばちゃんが日々の出来事をつらつらと綴ります。

おばちゃん、盛大に愚痴る

『クリ約』の観覧当選者に送られてくるという
“幸せの黄色い封筒”を待って
この数日ヤキモキしていましたが、
さすがに今日まで音沙汰なしだと
「もう落選だよな~今年もダメだったか~」となるわけで。

コンサート形式の収録だった2005年と
(このときはチケットを買って参加)
観覧募集なしだった昨年以外は
毎年願いを込めてハガキを書き、
ポストに投函してきました。

これまでは「まぁ、仕方ないかな~
競争率高いだろうしなぁ」で
済んでいたのですが、
こう毎年落選続きだとけっこう凹んでしまい…。
あれこれ考えてしまいました。

ネット上でも『当選するコツ』と称して
「当選ワード」や「NGワード」なるものが存在する、
また、「妊婦さんは全員当選する」、
挙げ句の果てには「年齢制限が存在する」などなど
さまざまな記事を目にしました。

ネット上のことを鵜呑みにする気は
さらさらないのですが、
それでも、当落を決定する過程には
一定の傾向があるのだろうと思われます。

つまり、そういう傾向がある限り、
私のようなおばちゃんが
どんなに熱意を持って
応募ハガキを書いたところで
当選の望みは無きに等しいのだと
言われているようにすら感じ、
やりきれなさのあまり
腹立たしささえ覚えてしまったのです。

ましてや年齢が当落に関わるのが事実ならば
もう噴飯もの。
年齢で門前払いされるのは
求職活動のときだけでたくさんです

そもそも「任意」とされている
応募動機が当落を左右するほど
重要な要素であるのなら、
なぜ「任意」でなく
「必須」にしないのでしょう?
そして、もし「任意」を維持するのなら
内容は当落に考慮せず、
無作為抽選にしたほうがいい。
それなら落選してもかえって
割り切れるというものです。

落選者の僻みととられても
仕方ないでしょうが、
愚痴のひとつも言いたくなります…。

そんなことを言いつつも
来年観覧募集があったなら
そこに行きたい一心で
きっとまた懸命にハガキを書くんだろうなぁ。
(苦笑)

今日一日そんなことを
考えていたおばちゃんです。

イメージ 1
2005年ツアーのときのハンカチです。
田舎の友達が武道館に見に来たのですが、
同行するはずの人がどうしても
来られなくなり、
私が行くことになりました。
そのとき、友達が
「来てくれたお礼に」と
買ってくれたものです。
いまだに現役、もう10年選手です